お年玉について考える。誰にどれだけ渡すとか。貰った時の思い出など。

健康・生活の話。

真面目なことを真面目に考える話。

 

いよいよ新年が近づいてきた。

普通の平日ではあるのだが、今年も年始に帰省することにしている。

 

毎回思っていることだが(口には出していないが)「居心地が悪ければ帰省しない」。

親族に変な輩が居たり、要らん事を言ってきたり、そういった被害が無いのは恵まれている。

そもそも、「親族に大抵1人は居る怪しい人」とは私のことだしな。

 

 

さておき本題へ。

 

私と同じ孫世代はともかく、甥っ子や姪っ子にはお年玉をあげている。

本人ではなくその親にだが。

前回(つまり今年)、「本人に渡してあげればいいのに」という意見を頂いたので、今回(来年である2026年)はそうしてみよう。

 

金額はどれくらいが適切かが分からん。

自分の過去を振り返ってみると小学生くらいから1,000円だったかな?

それより小さい子は、お菓子の詰め合わせとかだった気がする。

そっちのほうが嬉しいわな。

中学生あたりから3,000円だか5,000円だかじわじわ増えていった気がする。

 

 

当人ではなくその親に「いくらくらい渡すのが適切か」を聞いておけばいいのか。

他と金額の差が大きいと面倒なことになりそうだしな(他と比較して多い少ないという発言が出てしまったり)。

各家庭ごとにお金についての教育方針も異なるだろうし。

 

 

 

ネット上に、

「お年玉を渡した時、子どもの態度が悪かった(お礼を言わないどころか、要らん事を言った)から、来年からは渡さない」

という意見があった。

 

なるほど、それは賛成だ。

金額の大小に文句を付けてくるような餓鬼に渡す必要はない。

(過去の私は、こまっしゃくれた糞餓鬼だったため、このように言葉や態度で相手を不快にさせた可能性が高いが。)

 

私は基本的に子どもが好きではない。

ただ、子どもには健やかに育ってほしいと思っているので、良心に従って状況に合わせて適切な言動ができているつもり。

まあ実際「生意気な糞餓鬼」と遭遇しても「昔の私に比べれば可愛いもんだな」くらいの感想になりそうだ。

あの子らは育ちが良いのでそんなことは起こらないだろうが、起こったらそれはそれで悪くない。

 

 

そういえば、

「正月に一緒にゲームをして、買ったら◯◯円、負けたら△△円」

というお年玉の渡し方も見たな(ネット情報)。

 

ゲームはゲームとして楽しんでほしいし、お年玉のためにゲームに付き合わせるのも嫌だ。

(お年玉は負けても貰えるが、一緒にゲームをしないと多分貰えないため。)

このような「条件付きの何か」は好きじゃない。

 

 

 

お年玉の思い出といえば、「1,000円札を破って弟と500円ずつくれたおじさん」が居たな。

今でこそ「銀行に持っていって、5分の3以上残っていれば額面の100%で交換してくれる」と知っているが、お札を破るという行動には驚いたものだ。

社会の教科書に出てきた「一円札を燃やす成金」のようで印象深い。

貨幣損傷等取締法は硬貨に適用されるのでお札はセーフなのだろうか。

ちなみに破れた紙幣は両方とも母親に渡した(500円玉と交換してもらった)ので銀行に持っていったのだろう。

 

 

とりあえずポチ袋は用意した。

過去の、スリーブ+カードローダーや、未晒しの茶色い小袋から進歩した。

 

ポチ袋は色々種類があって、5年間くらい毎年集めていたのだが、

渡す側も「ポチ袋を選ぶこと・買うこと」を楽しんでいたんだなと今になって分かった。

身も蓋もないことを言えば、お手軽に相手を喜ばせられる手段だしな。

 

 

こんなことを色々と考えられるあたり、恵まれているなあ私。ありがたい。

 

 

 

ただの日記・・・

 

予定を勘違いしていた。

今日のMTGイベントに参加できたじゃん私。

散歩以外は引きこもってゴロゴロしてしまった。まあいいか。

 

「沸騰したお湯に10分卵を入れておくといい感じに半熟卵になる」とどこかで聞いたのでやってみたが、温泉卵だった。

鍋から沸かすのではなく、ケトルで沸騰させて金属製のコップにお湯を入れたのが原因だろうな。冷めやすいものな。

その温泉卵は塩と味噌でいい感じに味付けして食べた。

 

備蓄食料を消費する年末。

クラッカーとプロテインとカレーメシが今日の夕飯。量もあるし豪華だな。

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