生きている相手のために心や時間やお金を使う(久しぶりに会うのなら笑顔が良いわけで)。

健康・生活の話。

真面目なことを真面目に考える話。

 

先日、母の元夫が死んだらしい。

私の父だった男だが、30年近く会っていないこともあり何の感情も湧かない。

そもそも母と離婚した時点で死んだものと思っている。

 

よく母に連絡が来たものだと関心した。

いとこ経由と知り納得。そこは仲良かったからね。

 

私や弟に連絡を取りたがっていたらしいが、連絡先を知らなかったらしい。

ありがとう。よく知らせずに居てくれた。

高校時代に「そんちょう(私)に似た男性を見た」とクラスメイト言っていたのを思い出した。

 

 

私は「葬儀出られる?」に対して、「物理的には可能だが出ない」と答えた。

生きている相手の顔を見るならまだしも、今更(30年ぶりに)遺体を見ても仕方ない。

いとこ達には会いたいけどね。

 

私は「今更関わる必要はない。身近な人を大切にすればいい」のスタンスだが、

弟は葬儀に参列したらしい。彼は優しいからね。

 

面倒くさいのも行かない理由の一つだが、年始に帰省するのでそれでいいと思っている。

私は「死んだ人(葬儀)のため」ではなく、「生きている人(親兄弟いとこなど)のため」に心や時間やお金を使うのだ。

という言い訳のもと帰省を1回で済ます。

久しぶりに会うなら笑顔がいいでしょうお互いに。

葬儀のための集まりだと、笑顔が悪いことのようになってしまうからね。なんだろうねこの文化。

 

高校生くらいの頃、中学の同級生が交通事故で死んだときもそうだった。

久しぶりに皆に会えたので色々会話をしたかったが、恐らく皆「自重」して何事も無く解散した。

「私達が笑顔で居るほうが、死んだ〇〇さんも喜ぶよ。当時の懐かしい話とかしたいし、皆集まってどこか食べに行こう」

と言えなかったのを後悔している。

その〇〇さんと私は別段仲良くもなく、私は私のために「プチ同窓会」をするためのダシに使おうとしていたわけだが、先の口実は本音でもある。

 

 

とはいえ親兄弟いとこなどの葬儀には出るくらいの人の心はある(つもり)。キッチリお別れをしたいと思える相手ならば。

今回はその必要が無かっただけのこと。

 

 

服やらアクセサリーなどを形見としてどうかと聞かれたが断った。

服は自分が選択したものだけ着たいし、私にとって装飾品はゴミでしかない。

そもそも形見などという物を受け取る関係性でもない。

リサイクルショップや貴金属買取店で処分するにも大変そうだなあ。

 

 

今回の件で良かったことと言えば、いとこ達と連絡が取れるようになった点。 

そして、「遺品整理は残された人にとって大変そうなので、なるべく物を減らそう」と思えた点。終活。

減らす筆頭はカードゲーム(MTG)である。

 

 

そして使うかどうか分からないトークンを買ってしまっている私。

ウォーハンマーのトークンはもう見ないものな。

レアなトークンは見たら買え、のようになっている。

 

1/1飛行のアーティファクト・クリーチャーは、蜂の巣やスズメバチ砲に使えるかと思ったが固有名があるんだなあっちは。

 

 

 

ただの日記・・・

 

ここ最近月が綺麗だなと思ったら日曜日が満月だったらしい。

雲が無いと月明かりが映える。思わず上を向く。

 

2013年のアニメ「俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる」を観ていたら、1話のモブキャラの声優が豪華すぎて驚いた。

 

 

コメントを残す