真面目なことを真面目に考える話。
健康・生活の話。
Twitter(現X)にて。
電車で座席を譲る話で
「座席を譲った後、断られる・拒否されると困る」
というようなポストがあった。
投稿者さんは「知り合いなら隣同士で座ったほうがいいだろう」と思って善意を発揮したのだ(ろう)が、譲った相手が子どもだったためか拒否されたという話。
なるほど、これは悲しいあるいは恥ずかしいかもしれない。
私はそんな目に遭いたくないので、
席を譲ろうと思った際には「何も言わずに立って、移動する(+車両を移動する)だけ」にしている。

「どうぞ」などとは言わない。
座席が空いたとしても、座るかはどうかは人の自由。

「礼も拒否も無反応も、私には関係ない。余計なコミュニケーションを発生させなければダメージを受けずに済む」と考えるコミュ障の発想。と行動。
逆に、相手の立場になってみて「譲られた座席に座りたくない理由」を考えてみよう。
1、譲られたことにストレスを感じている。
分かりやすい例で言えば「年寄り扱いするな」というやつだ。
ネットでの拾い物だが「幼児性を引きずっている人」という人に近い。

2、人肌に温まった座席が気持ち悪いので座りたくない。
つり革に触れたくない人も居るのだから、このような人も居そうだ。
3、空いた座席の隣が原因で座りたくない。
これは分かる。私がよくやる。
隣が、大柄な人(パーソナルスペースを侵してくる)、臭いが強い人(体臭、香水、タバコなど)、うるさい人(喋り声、音楽など)のように、
「座れるメリット」より「座ることで起こるデメリット」の方が大きい場合、開いていても座らない。
痴漢の冤罪なども怖いので子どもや女性の隣も避けたほうがいいのか?
「静かで臭いも(少)ない細身の成人男性」の隣が安全と言える。
4、立っている方が都合がいい。
次の駅で降りる、座っている方が辛い、立っていることで筋トレをしている、など。
膝の曲げ伸ばしをしづらいとか、お腹が痛いとか、立っている方が楽な状況は珍しくないが、他人から見て分かるものではない。
妊婦さんはどうなんだろう?座っているのと立っているのとどちらが楽なんだろう?時期によって違うのか?人によるのか?
過去に電車内で見た光景では「座ると(抱えている)子どもが起きてしまうから」という理由で、やんわりお断りしていたお母さんが居た。
なるほどなあ。そういうこともあるのか。
寝ているときは、環境の変化に敏感だものな(テレビを消したり、部屋の電気を消したりすると目が覚めるあの現象)。
最初は「どうでもいいことを真面目に考える話」だったけど、予想外に真面目な内容になったのでカテゴリーを変更した。
暇だとどうでもいいことを考え出すんだなあ私というやつは。
ただの日記・・・
野菜が高いといいつつも、自身の健康を損なわない程度には栄養を考えて買えている。
魚は高いが、肉は100g110円くらいまでなら買える。
高カカオチョコは100g300円以下なら買う。
アイスやらお菓子やらを買える余裕すらある。ありがたいことだ。
「健康で文化的な最低限度の生活」の「最低限度」は人によって違うだろうが、私は幸せを感じるハードルが低いので、とても生きやすい。
乾燥剤によってFoilカードの反りが直ってきたが、最後の一押しが足りない。
と思ったらジップロックの袋から空気が漏れていた。納得。