報告は事実だけでは足りないと(「だから、なに?」と)思ってしまった。(+交番でパンク修理したり、空気清浄機が勝手に動いた話など)

健康・生活の話。

真面目なことを真面目に考える話。

 

 

職場での情報伝達で、こんなことがあった。

 

「〇〇という(困った)状態になっています」

 

と書かれていた。

それを見て、私は

 

「だから、なに?」

 

と思ってしまった。

 

 

現状を伝えてくれるのは結構だが、問題解決に繋がるその後が欲しい。

「だから、〇〇しました」、「なので、〇〇してください」といった具合に。

 

ただ、その人は私の部下というわけではないし、人生で経験してきたことや、色々な能力にも個人差はあるのだし、これは他人に期待し過ぎだと思い、私は反省した。

上記のようなプラスアルファを欲しがるのは、やり取りの手間を省きたい心理が働いたのかもしれない。私は管理者でもなんでもないけれど。

 

 

良いところを見てみると、不具合を伝えてくれただけで(気づかない人や、気づいても何もしない人に比べれば)十分だと思える。

 

 

報告・連絡・相談は社会人として当たり前だと思っているが、それも知らなければできないし、今の私もそれを教えてもらったからできるようになったのだ。

ある程度の年齢になると「言っても無駄かな」「どうせ素直に聞きはしないだろうな」「年下から言われて逆ギレされても面倒だな」などと思われて、何も言われなくなる。

(当人にとって都合の)悪い(改善した方がいいであろう)ことは特に。

 

相手が誰であれ素直に教えを請える人ならば話は変わってくるが、そうであっても「自分の悪いところや気になったところを教えてください」とは言いづらいだろう(私も言いたくないし、聞きたくない。聞いたら改善するかもしれないが。)。

というより、それに答えてもらえるような関係性や雰囲気を普段から作っておかなければ、相手も答えてはくれまい。

 

 

会社員時代に注意されて怒られて反省して改善した結果、今日の私があると考えると有り難いことだったんだなあ。

ありがとうございます。

と同時に、それらなどに耐えて今日まで生きている自分を褒めてやる。よくやった私。

 

でっていう=ヨッシーということで画像を拝借。
沢田ユキオ先生はスーパーマリオくんだけじゃなかったのか。

 

 

 

 

ただの日記・・・

 

交番で空気入れを貸してもらえるのは過去の経験から知っている。

そして借りたのは2回目。

100円ショップでパンク修理キットを買って、交番付近でパンク修理をした。

手際がいいですねと褒められた。

長時間借してくださってありがとうございました。

 

朝散歩で挨拶をして貰うと嬉しい。

間違っても不審者に声をかけられたなどとは思わない。

ということは私が挨拶をしてもそうである可能性が高い。

うだうだ言ってないで挨拶をしろ。

 

空気清浄機が勝手に稼働した。

窓を開けて換気はしているが、「砂ぼこりが入ってきたから空気清浄機を使えよ」ということで何かの力が働いたのだろうか。座敷わらしとか。

確かに3ヶ月くらい使っていなかったが、使わなさすぎると定期的に動くような機能があるのか?

トイレの小便器のように人が使わなくても(清掃目的で)水が流れるような機能が。

まあ、親切な座敷わらし(仮)のしわざということにしておこう。ありがとな。

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