100円ショップでのネタ画像の話(UNCHI TOBASHI、ぐるぐるトルネード)【おもちゃ】(+高嶺の花子さんとSPYの話)

ネタ画像の話。

・・・と趣味の話と真面目に考える話。

 

100円ショップのおもちゃコーナーは楽しい。

 

通常のおもちゃ売り場では売っていないような、しょうもないものと出合える。

 

 

●UNCHI TOBASHI

なんだかカッコイイ横文字かと思いきや、その名は「うんちとばし」。

アホの極み(褒め言葉)。

「便器にうんちをシュートしよう」とあるとおり、うんち飛ばして遊ぶ。

 

ゴールが和式便器の金隠し(この単語、初めて使った)、台座がお尻の形になっているあたり芸が細かい。

 

ルールに書いてある「便器以外を汚してはいけない」フレーバーテキストとして好き。

しかし、「スポーツマンシップに則ってゲームを行わなければならない」は謎。

スポーツマン?

というか宣誓のポーズをしている黒い棒人間は何を掲げているのだ。

 

対象年齢6歳以上とあるが、大の大人が真剣に遊ぶ光景は、結構面白そうだ。

遊んでいる人がではなく、周りで見ている人のほうが。

ボードゲームの箸休めにちょうどいいかもしれない。

個人的には、壊れた時の予備という意味でも台座は2つ欲しかった。

 

 

 

●ぐるぐるトルネード

同じ(?)しょうもないおもちゃでもこれは勉強に繋がる。

いや先程のうんちとばしも台座の弾性や角度など、真面目に考えることもできるだろうが。

 

話を戻して。

これはペットボトル2つを繋げるパーツ1個と、ビーズ20個(BB弾より大きい)が入っている。

水とビーズを入れてペットボトルを繋げて、ひっくり返す時にぐるぐる回すと渦ができる。

 

お茶などの四角いペットボトルでも出来るだろうが、指定されたとおり炭酸飲料のペットボトルを使えば、水やビーズがきれいに流れる。

 

砂時計や水時計(オイルタイマー)に似ているなと思ったら、岩手県紫波町のこんな記事を見つけた。

 

令和3年5月28日「水時計作り」/紫波町

 

まさにこれ。

ペットボトル2つを繋げて、水に色を付けたりスパンコールを入れたりしていた。

秒数を計れるような水時計にするなら、穴の大きさを変えたり、ビーズの大きさを変えたり、中に入れる液体を変えたり、色々工夫して作ろう。

学生時代だったら自由研究の題材にしていただろうな。

 

 

そういえば私は一度も「夏休みの宿題としての自由研究」をしたことが無い。

(いや記憶に無いだけで、ちゃんとやった可能性もあるな。私のことだから。)

「自由研究」の(特に「自由」の)意味が分からず、何をしたら「夏休みの宿題として正解なのか」が分からず、何もできなかった。

「『やる、やらないという自由』ではなく、『何を研究してもいい自由』なんだよ」とは言われたが、結局「研究」という単語が物々しすぎて「こんなことが研究と言えるのか?」となった。

 

今思えば、「ペットボトルのキャップを300種類集めました」とかでも良かったわけだ。

あれは中学生くらいに集めだしたので、それを提出すれば良かったのだ。

 

小学生の図画工作は大好きで得意で自由に楽しんでいたが、中学以降の美術は「こうであれ」と決められていて大嫌いになった今世の私。

パラレルワールドには芸術家の私が居ると確信している。

 

 

 

 

ただの日記・・・

 

サツマイモがうまい。

もう秋冬は、身体がサツマイモで出来ているのかもしれない。

やすいうまい栄養価が高い。

よくぞこんな素敵な食物を世に生み出してくれた(品種改良や普及など含め)。ありがとうございます。

 

リンゴよりも安いキウイや柿を買うようになったが、色々なものを食べるのはいいことだと自分に言い聞かせている。

その点で言えば解毒作用を衰えさせないように、たまに毒を食べた方がいいのだが。ジャンクなものを。

 

 

back numberさんの「高嶺の花子さん」という曲を知った。

ジメジメした、あるいはしっとりした失恋ソングという点で、槇原敬之さんの「SPY」と似ていると思った。

どちらも好きです。

 

back number – 高嶺の花子さん (full)

会いたいなら自分から行けよとツッコみたいところ。

行動せずに棚ぼた待ちカス野郎の妄想話。

これはBSS(僕が先に好きだったのに)と言えるのだろうか? 何にせよ気持ちが悪い。

「同じ土俵にすら立てなかった敗者の戯言である」というのは、どこで見たのだったかな。

  

【公式】槇原敬之「SPY」(MV)【12thシングル】 (1994年)Noriyuki Makihara

悪い夢ならば今すぐ覚めて欲しいだろうに、「早めに」ってなんだ?

1994年にNTRという単語は無かっただろうが、その状況を楽しんでいる(望んでいる)のでは無かろうか。

悲劇のヒロイン(?)気取りというか。

これを歌う時は脳内に「マリア様がみてる」の登場人物たちが出てくる。

 

繰り返しになるが、どちらも好きです。

一人カラオケで歌うくらいには。

コメントを残す