健康・生活の話。
真面目なことを真面目に考える話。
私は幸せのハードルが低い。
と自分では思っている。
日々、些細なことで幸せを感じられる便利な性質だ。
特に自然は良い。
満月を見たり、芽吹いている枝先を見たり。
物質的なことで言うとネタ画像か。
「世の中に存在する便利なものは、誰かが世界を良くしようと思って生み出されたもの」とネット上の誰かが言っていた。
他には夏に冷たい飲み物が飲めるとか、蛇口からお湯が出るとか、床が暖かいといった、人によっては当たり前だと思われる出来事も私には当たり前ではない。
素晴らしい有り難いと感謝する対象だ。
冷蔵庫が無いので夏(に限らず)は常温の飲み物だし、お湯が出るのは風呂場のみ、床は冷たい。
こうして考えてみると、恵まれすぎないようにわざと低い位置に自分を置こうとしている気がするな。
そうすると、同じものに触れても変化の幅が大きくて刺激が大きい。つまり感動したり幸せを感じられると。
中学生くらいのころ、父方の祖父が私達兄弟を甘やかしすぎるのを「これはよくない」と思えたのは奇跡みたいなもんだな。
まあ実際、大して自制できていなかったけども。
あとは損失回避を意識していそうだ。
「生活レベルを一度上げたら下げられない」と聞いたことがあるが、(経験したことはないが)それが怖いので最初から生活レベルを上げない。
食べすぎて太ったら痩せればいいではなく、最初から太らないように食べる、みたいな考え。
元々持っているものが少なければ失うものも少なくて済む、とも考えていそうだ。
自然災害で失ったものは無いが、盗難で失ったものはある。
些細なことで幸せを感じられるというのは、逆に言うと
そこそこで満足する癖がついてしまったとも言える。
精神的に向上心のないものは馬鹿だと言われれば、「あ、はい。私がその馬鹿です。」と言うしかない。
欲望は原動力になるので肯定的に考えているのだが、あまり望まないように生きているのは、そのほうが快適で安全なんだろうな。
望んだものが得られないのは苦しいものな。求不得苦(ぐふとくく)。ぐりとぐらみたいだな。
うーむ、惜しいな。
これは残念な生き方な気がする。もう少し変化がほしい。
まあ昔のような、実力の伴わない完璧主義よりは好ましい人生だけどね。
CDのケースにヒビが入っただけで烈火のごとく怒り散らかしていたのは若かったというか幼かったなあ。
色々と集めていたものはとっくに手放した。
あ、そういえばペットボトルのキャップがあったな。
あれも写真撮ってブログネタにしてから捨てないとな。

今回の記事にふさわしい画像が見つからなかった。
再録禁止需要か、フレーバーテキスト需要か、統率者需要かは知らないが、最安1,500円って何が起こったんだ?
ただの日記・・・
初めて海苔の佃煮を食べた(気がする)。
原材料を見ると海苔と砂糖醤油だった。餅も白米も似たようなものだし、味の想像もしやすい。
しかし味の濃さを見誤ってしまい、ご飯に対して使いすぎた。しょっぱい。
雑に炭水化物を摂取する分には便利だが頻繁に食べたいとは思わないな。
「からかい上手の高木さん」「くノ一ツバキの胸の内」「それでも歩は寄せてくる」などの作者である山本崇一朗先生のマンガ「マネマネにちにち」のボイスコミックが楽しい。
メインの3人の声優さんは、それぞれ過去作のメインヒロインの声優さんである。そして合っている。好き。
ボイスコミックは第4話まである。
このままアニメ化してくれ。