まじめなことをまじめに考える話。
そして趣味の話。
先日、Twitterでこんなつぶやきを見た。
バスでおじいさんに席を譲った少年が、「ふざけるな」と言われたという。

結論としては、社会にはごく少数の想像を超える変な人がいるが、少年はその善性を持ったまま生きて欲しい。
普通に解釈してみよう。
この60代くらいのおじいさんは、過去に嫌々ながら席を譲ってくれた若者と遭遇し、それ以来、似たような状況になると感情とともに思い起こされて腹をたてたのだろう。
譲ってくれた相手が笑顔かは見ていない。
なんなら相手の年齢性別すら関係ないかもしれない。
「過去に嫌々ながら席を譲ってくれた若者に言いたかったこと」を、(状況が同じなだけで)無関係の相手にぶちまけたのだ。
少し嫌な解釈をしてみよう。
そもそも過去にそんなことは起こっておらず、「席を譲られる(老いている)自分」を恥じていたり、怒っていたりする場合。
これはもう、イチャモンをつけたいだけなので口から出る言葉は嘘八百でいい。
学校のマニュアルがどうとか、嫌々譲っているだとかは相手を攻撃する材料でしかなく、事実である必要はない。
他人事だから「色々な人がいるなあ」と思えるが、自分が同じ状況になったらを考えてみよう。
基本的にバスには乗らないし、席を譲ることもないのだが、それは置いておく。
譲って「ふざけるな」と言われたとして、その後にネチネチ言ってくる60代くらいのおじいさんへの対応はどうするか。
1、「余計なお世話でしたか。失礼しました。」と言ってまた座る。
つまり、結果的に席を譲らない。
しかしさすがにこれは火に油。相手の攻撃は止まないだろう。
2、その場を離れる。
基本的に自身の身体を侵害する存在からは物理的に距離を取るのが最善。
バス内であれば最前か最後尾のどちらか、距離を取れる方へ移動する。
しかしこれも、攻撃したいがために接近してくるかもしれない。
3、バスから降りる。
移動中ならボタンを押すしかないが、昇降時ならばすぐ降りる。
多少お金が無駄になるが、自身の精神衛生を考えると必要悪であり無駄ではないだろう。
それでも食い下がって自分も降りてくるような粘着質な輩であればそのまま交番へ行く。
いずれも、相手と会話しない、言い返さない、目を合わせない、興味を持たない、相手の存在を認識しない、つまり無視するあたりが有効な気がする。
避難訓練と同じように、災害時のシミュレーションはしておいてもいいだろう。思考実験に近いか。
幸いなことに私はこのような悪意とは無縁に生きている。
運良く遭遇しなかったり、意図的に避けていたり、単純に気づいていなかったり。
ただの日記・・・
急に暖かくなったからか無限に眠い。
睡眠は人生の無駄という考えがあるけれど、むしろとても贅沢な行為だと思っている。
無防備な状態でも安全が確保される環境でよかった。にんげんっていいな。
歯車やクランク機構の動画は無限に見ていられるなあ。
途中で頭が混乱するけど。